命がけで訴えたもの―四、燃焼


身代わりの誓いに生きて

  昭和26年2月19日、丸山敏雄は夫人を伴い、伊勢神宮へ旅立った。
  1月に大病をして衰えていた体に月刊誌などの多くの荷物を詰めたトランクの重さはこたえた。敏雄は他の参拝者の邪魔にならないように、脇に寄って靴を脱ぎ、土下座した。『新世』と『万人幸福の栞』を前に置き、長い時間をかけて真剣に拝んだ。
  敏雄は何を祈誓したのか。半紙にしたためられたそのときの「誓詞」が没後に発見されてわかった。倫理運動のさらなる発展のためいよいよ身命をかけて努める誓い、倫理の研究を多方面からいっそう深める決意、そして人の苦痛を自分の身に引き替えて受ける「身代わり」を行なうことが、毛筆で書かれていた。
   神宮の参拝を終えてからは、日々の誓いの中でいよいよ精魂を込めて「身代わり」の祈誓が捧げられた。

もし今後  倫理の宣布普及にまことをつくす人等が  知らず識らず  理をあやまり倫にもとり  人をそこなふようなことがありましたならば  何卒この身をせめさいなみ苦しめたまへ  たとへこの身は如何ようになるとも更に厭いません故  あやまれる者共を  一刻もはやく正道に引きかへさせ給へ

  敏雄の肉体はやせ衰え、咳が止まらぬ苦しみに耐える日々が続いた。その衰弱とは反対に、倫理運動は着実に広がり、会友や支持者の数は増えていった。

  10月14日、千代田区の共立講堂で「新世会」の第5回総会と会員大会が開催された。総会において「新世会」は名称を「倫理研究所」に改めることを決議。病身をおして参加した敏雄は、「人類の朝光」と題した講演で熱弁を奮った。それが人前で行なった最後の講演となった。
  昭和26年12月14日、敏雄は60年に満たない人生に終止符を打った。

最後の講演へ向かう
東京・千代田区共立講堂の階段を上り、最後の講演に向かう。

最後の講演
丸山敏雄の最後の講演。