命がけで訴えたもの―二、自立


感動が人を動かす

  昭和23年になり、上野が雑誌頒布の基地になっていくと、丸山敏雄を迎える「集い」を通して、人も増えてきた。尾田久太郎もその一人である。
  ある日、座談会の会場にいた尾田夫妻は、定刻が近づいてイライラしてきた。講師の丸山敏雄のほかに、聴講者が誰も姿を見せない。定刻になった。講師は静かに話しを始めた。

「誰が来なくてもよいのです。あなた方が熱心に聞いて下さる、いや天地が聞いています。そして、聞いた人が必ず広めてくれます」

  そう言って、敏雄は約2時間、まるで1万人の聴衆を前にしているかのように、燃えるような気迫で烈々と講話をした。尾田夫妻は感激に打ち震えた。
  その尾田は、自宅に「家事相談所」を開いた。家庭や職場の悩みに対する指導が受けられる常設の場所がほしいと、地域の人たちから要望が出たからである。
  この年の10月には「新世会」が東京都から社団法人の許可を受け、活動はいよいよ充実していく。12月16日、第1回の「倫理講座」が敏雄の自宅(高杉庵)で開催され、以後、2年間休むことなく続けられた。少人数からスタートした講座は、第40回を機に都心で開かれ、参加者も200人を越えるようになった。
  農学博士の野村正恒は、若い頃、上野駅で『文化と家庭』の創刊号を購入した縁で、後に「倫理講座」の常連となった。ある日の感激を野村はこう綴っている。

  「第21回目の倫理講座のときは、丸山先生は『錯覚の人生』という話をされました。この頃は私は非常に感激しており、先生のお宅から帰るときはいつも、何か気持の中が元気一パイになり、足どりも非常に軽かったのを、今でもよくおぼえております。そして感激もさめやらずに帰途につくと、もう遅いもんですから電車の中には酔っぱらいがたくさんおります。あるとき、酔っぱらいが一人の男をなぐったり、けったりしている。そのとき、何か気持が非常に高まっていたのでしょうか、私は全然おそろしくなく、その中に入って止めますと、酔っぱらいが私の言うことを聞いてくれたということがありました。先生のお話は、何か非常に人の気持を高めてくれるという印象を強くしました」。

「朝の集い」
まだ小さな運動だったが「朝の集い」はこうしてはじまった。

「朝の集い」
当時の「朝の集い」を象徴する一葉。

『文化と家庭』創刊1周年
『文化と家庭』創刊1周年、および社団法人認可を祝う会(昭和23年11月)。