丸山敏雄ウェブー倫理運動の創始者 その生涯と業績

施設案内

丸山敏雄の息吹を感じる

記念館外観

  • 記念館外観
  • 記念館中庭
  • 記念館館内

丸山敏雄記念館

倫理研究所の教育・研修施設、富士高原研修所の敷地内にあります。

丸山敏雄が心血を注いだ論文の数々、遺品や遺墨などを、富士高原研修所で行なっている研修テーマに沿って選定し公開しています(約65点・数ヶ月毎に入れ替え)。
館内には、常設として敏雄が創作に打ち込んだ空間「市川の間」が再現され、落ち着いた空気の中、来場者はそのままに敏雄の息吹を感じることができます。(入館無料・要問い合わせ)

高杉庵

記念館の隣には、丸山敏雄の住居が移設され、保存されています。敏雄にとって終のすみかとなった家であり、当時は現在のJR中央線・武蔵境駅から至近にありました。敏雄はこの家に、昭和22年に移り住み、西南に巨大な杉が数十本隣接していたことから「高杉庵」と名付けました。

純日本家屋の古びた平屋造りで、玄関の左手に続く座敷の一番奥、障子戸に囲まれた十畳間が敏雄の部屋でした。この部屋で、敏雄は思案をめぐらし、執筆し、歌を詠み、書に没頭したのです。部屋には、亡くなる直前まで使っていた木製の座椅子が置かれています。

「かねて妻が、大工にたのみおきし『すわり物』出来たり。これに坐し、風にうごく高杉を見れば、実に、世に極楽と、ただ涙なり」
(昭和26年11月26日の日記より)

病気が進行し、もはや身体を動かすこともままならない敏雄は椅子に身体を預け、窓の外の高杉をよく鑑賞していました。
高杉庵はまた、倫理運動発祥の原点として、家族同然に弟子たちが出入りした本拠でもありました。

高杉庵

  • 高杉庵
  • 愛用の座椅子
  • 草創期の高杉庵
天和会館外観 丸山敏雄生家外観

天和の郷

天和会館

天和会館は、丸山敏雄の生誕記念施設として昭和59年4月に建設。その後、平成18年に完成した敏雄の復元生家との調和を考慮して建て替えを決定。降幡建築設計事務所の降幡廣信氏は「土と漆喰と瓦、畳など、日本古来の素材を使って、日本の原風景を感じさせるものにしたい」と語り、設計に臨みました。平成20年11月24日、日本の伝統建築の粋を集めて完成。主に倫理研究所の研修施設として活用されています。

丸山敏雄生家

倫理研究所の創立60周年を記念して、平成18年に復元されました。
萱葺き屋根に土間や囲炉裏といった、敏雄が幼少期に過ごした家屋を、古民家再生のパイオニアとして知られる降幡建築設計事務所が忠実に再現。併設された天和会館と共に、天和の里の観光名所としても注目を集めています。

〒828-0081 福岡県豊前市大字天和392

倫理研究所 富士高原研修所

純粋倫理の理論的・実践的学習のために、小学生から成人までを対象にした各種セミナーを行なっています。敷地内には、富士高原研修所・富士倫理学苑・富士万葉植物園・丸山敏雄記念館があります。

〒412-0008 静岡県御殿場市印野1383-85
TEL 0550-89-2677 / FAX 0550-89-5534