丸山敏雄ウェブー倫理運動の創始者 その生涯と業績

倫理の道標

丸山敏雄の発見した幸せになる生活法則

28. 人間、謙虚が第一

威張っている人間ほど鼻持ちならないものはない。

しかし、知らぬは本人ばかりなり。

臭気ぷんぷんとして気がつかない。

丸山敏雄の謙虚さに学び、わが身を振り返ってみたい。

「きみは実に偉そうにしているね」
ある人物の言動を見兼ねた丸山敏雄が、注意した。心外だったのか彼は、こう答えた。
「どこで、どんな時に、どんな風に、偉そうにしておりますか?」
敏雄は、ピシャリと応じた。
「きみが便所に入って用を足している姿ですらも、偉そうに威張っているよ」

「偉ぶるは、馬鹿の始まり」という。天狗になってしまうと、学ぼうとする気持ちは消え失せ、進歩も向上もストップする。あげく人から嫌われ、裸の王様よろしく、誰からも相手にされなくなる。威張る人間は、「馬鹿」の代名詞でもある。
敏雄は、決して威張らなかった。偉そうに振るまうのが、大嫌いだった。
一例をあげれば、書道の門弟を「書友」と呼び、短歌の弟子を「歌友」と称して親しく接したところにも、それはうかがえる。
高い所から人を見下ろして指導する「先生」ではない。敏雄は、共に手を取り合って学びの道を歩む「友」または同志、あるいは道案内、といった存在だった。
書道の手引きをするにも、「私はある程度の段階までのガイド役にすぎません。それから先は、どうか大先生(古典の法帖類)について習ってください」と、どこまでも謙虚であった。
ある人が、感謝の念もいっぱいに、「先生の教えのおかげで・・・・・・」とお礼を述べようとしたところ、強い口調でたしなめられた。
「私は、そんなに偉い人間ではありません。ただ、正しい生活法則に気づかせてもらっただけのことです」
少しも自分を誇らなかった。

昭和24年8月21日に、『万人幸福の栞』の初版本が印刷所から納品された。会員の求めに応じて、教えのエッセンスを小型の冊子にまとめたものである。敏雄は、自著をまず神前にうやうやしく捧げて納本を報告し、感謝の意を表するとともに、世界人類の幸福を誓願する式典を行なった。
その席で、あらたまって財布から紙幣を取り出し、自ら同書を購入した。敏雄には、「自分の本」といった意識は、皆無に等しかった。天の命により、大自然から授かったひらめきと導きに従い、天に代わって書かせてもらった、自分は一人の代筆者にすぎない・・・・・・といった気持ちが強かった。いかに私心のない「謙虚な人」であったかを物語るエピソードの一つであろう。
「我 萬人のしもべとならむ」
これは死の2ヵ月前に敏雄がひそかに書き遺した「宣」と題する誓いの一部である。底知れぬ謙虚さの一端がうかがわれる。