確立
倫理運動の軌跡
生活法則を発掘する
丸山敏雄が生活改善運動を興して、語り、書き、訴えた生活法則とは、いったいどういう内容だったのであろうか。
教育者としての経験、日本古典の学問研究、宗教修行、指導を通して体得した生活法則には、普遍的に人々の苦難を救済する力があるという確信があった。
戦後、日本の再建を目指そうとする時、敏雄がもっとも憂慮したのは、それまでの道徳・倫理が無力に等しいことであった。道徳の致命的な欠陥は、「善いことを行う者が必ずしも幸福にならず、善くないことを行う者が、必ずしも不幸になるとは限らない」ということだ。徳(道徳)と福(幸福)が一致しておらず、その関係も明らかにされていない道徳や倫理が甘く見られるのは当然だった。
敏雄は、純粋倫理という生活法則を発掘する過程で、興味深い方法をとっている。科学と同様に「実験」によって法則を発見していく手法である。実験とは、実際にやってみる、試してみるということだ。
理屈ではなく「やってみる」
生きた力のある生活法則を発掘する過程で、何を、どう試したのか。
敏雄が実験による研究の手がかりとしたのは「人生の苦難」であった。
ここに苦難に見舞われた人がいる。研究者は、邪念妄想なき心境でその人が受けている苦難の原因を直観し、相手に告げる。相手は、指摘された原因を除くための実践に素直に取り組む。その結果、苦難は解消するかどうか、という実験である。
たとえば、子供の非行で困り果てている母親がいたとしよう。研究者は直観した事柄をこう伝える。
「あなたは子供さんを育てながら、ずいぶんと心配をして、ご主人よりもお子さんのことばかり考えてきましたね。これからはお子さんのことはなにも心配せず、あなた自身が一家の太陽のように明るくなって、ご主人と仲良くしなさい」
言われた母親がその言葉を受け止めて気持ちを切り替え、日々快活にふるまって、夫と仲良くなるよう努めたところ、子供の非行がぴたりと直ってしまった。
ポイントは、理屈ではなく、実際に「やってみる」ことだ。このような実験を長年にわたり積み重ねていくうちに、敏雄には「徳と福が一致」する生活法則が見えてくるようになった。その要点は後に平易な17ヵ条の生活標語にまとめられた。
純情な心境を求めて
丸山敏雄は発掘した生活法則を、「純粋倫理」あるいは「実験倫理」「新しい倫理」などと呼んだ。
仏陀(ブッダ)はもともと宗教の教えを説いたのではなく、人間の生きる道、すなわち倫理を説いたのだと説く仏教学者・増谷文雄の論考にヒントを得たことから「倫理」という呼称を用いた。
その生活法則の核をなす心境は、「明朗」「愛和」「喜働」の3つである。これがそのまま実践の指標となる。
「明朗」とは、明るく朗らかな心。表面的な明るさではなく、こだわりやとらわれが何もない心。憂鬱・心配・怒り・焦りを抱かず、晴れわたった大空のように澄んだ美しい心を持ち続けることだ。
「愛和」と「喜働」は、丸山敏雄の造語である。「愛和」とは「なかよく」ということにほかならない。愛によって和(和合、調和)が生まれ、人間関係や物事が順調に進んでいく。親子・夫婦の愛和は家庭の幸福を、職場内の愛和は会社の発展・繁栄を、社会の愛和は人類の幸福と平和を生み出す。
「喜働」とは文字通り、喜んで働くことである。いやいやながら働いたのでは何事も成就しない。働くことそれ自体が喜びなのだ。我欲を捨て、無心になって仕事に取り組んだとき、この上ない喜びに満たされ、エネルギッシュに生きることができる。
これら「明朗」「愛和」「喜働」は別々ではなく、三位一体のような関係にある。そして、この三つをさらに一歩押し進めてみたとき、「
純情
」という言葉に帰一する。「純情」の心境を保つことが、生活法則の核心にほかならない。
「ふんわりとやわらかで、何のこだわりも不足もなく、澄みきった張りきった心」
丸山敏雄は「純情」の心をこう表現した。いつでもどこでも何の迷いも煩いもなく、明朗闊達、小児のように無邪気でのびやかな曇りのない心、この心に徹したとき、人の働きはまことの働きとなって開花結実する。直観は冴えわたり、生活は水が流れるごとく遅滞なく進行していく。