丸山敏雄ウェブー倫理運動の創始者 その生涯と業績

倫理の道標

丸山敏雄の発見した幸せになる生活法則

1. 朝起きはすべての基本

朝起きて、最低の顔をしていないか。

1日に1度かならず目が覚める。

目が覚めるということは、生きていることの証。

ああ、今日も生きていてよかったと、機嫌よく起きるのが本当だ。

自分を変えたい、生まれ変わりたい、心を入れ替えたい、成長したい、そう考える人は実に多い。書店に行くと、自己啓発の書籍がずらりと並ぶ。宗教書も需要に応えて洪水のように並ぶ。セミナーに参加したり、修行に励む人もいる。確かに自分を根本から作り直したいとなれば、大仕事である。
では、根本とは何なのか。それは、「自分とはそもそも何か」を考えることから始めなくてはならない。自分とは、底知れない、奥深いところに本質があって・・・・・・と突き詰めていくと、きりがない。
インドの僧・達磨だるまが中国にやってきた時に、慧可えかという青年が訪ねてきた。

夜明けの3時。高杉庵

敏雄の部屋には、夜明けの3時には明かりがついていた。

「どうか私の心を落ち着かせてください」
達磨は、答えた。
「その不安な心をここに持ってきなさい。落ち着かせてあげよう」
慧可は一晩懸命に考えたが、翌朝になり、こう言うしかなかった。
「不安な心を探しましたが、とらえることができませんでした」
達磨は言った。
「とらえることのできぬ心が君の心なのだ。私はすでに君の心を落ち着かせてあげたよ」

自分の根本などというと、かえってわからなくなる。この達磨と慧可の問答は、自分を変えるということについて核心的なことを教える。つまり、根本とはどこか遠くにあるのではない。自分の日々の生活を構成する一コマ、一コマが自分のすべてである。その一つずつを変えれば、自分は自ずと変わる。
ではどうしたらよいか。最も効果的なのが、朝サッと起きることである。丸山敏雄は、人間の再建は朝起きにある、と断言した。人間が、他の動物と違って、いろいろな不幸に出会うその元は全部わがまま、気ままの心にある。そして、このわがままは、何よりもまず、朝寝から始まる。
気がついても何もしない。やらねばと思っても先延ばしにする。今できない理由はないのに、延期する。これが癖になり、強情となり、ズボラを決め込み、不純な心のにごりが沈殿し、堆積していく。そうした悪い習慣の大本が、朝寝なのである。朝、目が覚めるのは、気づきの根本である。

気づいた時――それはその事を処理する最高のチャンスである。それをのばせば、次第に条件がわるくなる。事情の最も高潮に達した時、その波動うごきが、人の脳に伝わって気がつくようになっている。(『万人幸福の栞』)

敏雄は明け方、目が覚めると布団の上に、ためらうことなくすっと立ったと、孫のように可愛がられた初子は言う。
弟子の青山一真が、なかなか喜んで朝起きができないことを敏雄に相談したことがあった。敏雄は、さも愉快そうに笑いながらこう言った。
「そうかね、そんなに朝起きることが喜べんかね! ハッハッハッハッハッ」
早起きがどうしたらできるか、こう書いている。

早起きの秘訣? そんなものがあるものですか、ただ「やればできる」のです。「さあ明朝から早く起きるぞ」ときめて起きたらよいのです。(『清き耳』)

よいことを始めるのにグズグズする必要はない。明朝から始めよう。