丸山敏雄ウェブー倫理運動の創始者 その生涯と業績

倫理の道標

丸山敏雄の発見した幸せになる生活法則

6. 出足を早く、引き足を早く

なかなか手をつけない、またいつまでも終わらない。

それは、心に不平と不満、そして不安があるからだ。

「早く始めて、さっと終わる」習慣を身につければ、頭の中はスッキリして、身も心も明るくなる。

出足とは、出発であり、取り掛かりである。引き足とは、引き上げることであり、終了である。
敏雄は、「出足を早く、引き足を早く」を自身で実行し、周囲にも勧めた。その効用を自著の中で、「これは世渡りの秘法である」とも述べている。
スポーツの世界では、スタートが重んじられる。相撲では、立ち上がりの一瞬でほとんど勝負が決まる。
「先手は勝つ手」、「先んずれば人を制す」と言われる通り、一足早い出発は、成功の第一条件といってよい。
敏雄は、早朝、目が覚めると、パッとはね起きて、速やかに着替えを行なった。その後は、読書や論文の執筆、書道など、一貫して勉学の時間にあてた。一般の人々が朝起きる頃までには、一日の仕事を大方片付けてしまった。すると、「日中の仕事も意外に順序よく運び、能率がますます上がるようになった」という。
日々の生活において敏雄は、早い出発を自己に課した。会合や電車の発車時間などには、必ず5分前から10分前に目的地へ到着した。約束した時刻まで十分な余裕があるときには、古本屋に寄ったり、博物館や展覧会などに足を運んだりして時間を無駄にしなかった。「早く到着しすぎても、迷惑になろう」と先方の都合にも気を配り、早すぎず遅すぎない到着の模範を常に周囲に示した。約束の時間を厳守することがすべての決め事を守る基準になると、自覚していたからにほかならない。

一貫不怠

まだ影が長く見える早朝、市川駅前に立つ(昭和26年)

また、いろいろな締め切りや期日を厳守する秘訣は、早めにとりかかるところにある。明治時代の政治家であり、内相・外相をはじめ東京市長も務めた後藤新平は、「早いは良し、ちょうどよいは危うし」をモットーに、日常の雑事をテキパキとこなしつつ、大きな仕事を次々とものにした。
早めの出発にもまして大切なことは、引き上げぶりだ。演説などでは、最初の第一声が大切である以上に、最後の結びがさらに肝要となる。
出かけたときは、目的地へまっすぐに出向き、目的の用件が済めば、道草をしたり、あちこちへ寄ったりせず、まっすぐに帰るのが望ましい。大切な場面ほど、まっすぐに「直行」し、まっすぐ「直帰」することを心がけたい。
昭和26年夏の夕方、敏雄は、東京日本橋に出かけた弟子の一人である福浦豊水に火急のメモを届けるよう使いを申し付けた。その際、「大切な用件のときは、寄り道をしないで、まっすぐに行って、まっすぐに帰るものだよ」と付け加えた。
用件を果たすのは急ぐべきだが、終えた後のことまではあまり気にしない。だが、敏雄は、最後まで仕事を完結させることを重視した。

朝のスタートを切るとき、さわやかに、さっと、朗らかに家を出発すると、一日が快い。そして、職場に少しでも早く入り、清掃や机の整理整頓をしてから仕事の準備をすれば、その日の計画が順調に進み、能率が上がる。日中は力いっぱいに働き、使った道具や機械に感謝しつつ後始末をして、愛情と敬意を職場に込めてさっと引き上げたい。
一日は、誰にでも平等に24時間が与えられている。
早い出足と早い引き足を心がけ、時間を正しく守ることによって、一つ一つの物事の開始と終了に美しい切り目がつき、常に仕事を追うことができる。人生は一本勝負。日々の積み重ねによってこそ、見事に生き抜くことができる。