倫理の道標
丸山敏雄の発見した幸せになる生活法則
18. 労働でなく喜働でなければならぬ
やればできる。
難しく考えたり、怠け半分でやるとできない。
できるようになれば、面白くなる。
研究のつもりでやれば、ますますよくなっていく。
もっと面白くなる。愉快にやって収入も増えていく。
敏雄の一日は流れるように過ぎていく。
論文を執筆していたかと思うと、庭の一角で植木に水をやっている。今、庭にいたと思えば、自室で書道の手本を書いている。気がつけば簡単な大工仕事も気軽にこなしている。一時もじっとしていたり、暇でぼんやりするということがない。朝起きたら夜の就寝まで、高みから低地へ水が流れるように一瞬の無駄もなく働き通していた。
ある時、弟子が感極まってこう言った。
「先生が休むことなく働かれる姿を見ていると、ただただ感心いたします。先生の実践はすごいものですね」
「何を言うか。そんなことは私の喜びであり、言うならば遊びだよ。そんなことに感心するのではなく、この倫理という宇宙の法則のすごさに感心しなさい」
敏雄は、働くことを少しも厭わなかった。これは、農を業としていた父親の影響が大きい。
敏雄は、少年時代から勤労を父親に厳しくしつけられた。早朝3時には、牛の背中に揺られて草刈りに。学校から帰れば、直ちにまた父親と働いた。働くのが当たり前であり、働くことが最高の生き方であったのだ。敏雄にとって働くことは、少しも苦にはならなかった。
敏雄の働きは、誰かに命令されていやいや働く「労働」ではない。敏雄自身が日々の生活の中で、自らが実践し体得した「喜働」である。
今では死語に等しいが、一時代前には、「働かざる者は食うべからず」と誰もが本気で思っていた。仕事をしないことは、恥ずかしいことであった。
周囲から「働き蜂」と陰口を叩かれようと、自分を後回しにして、会社のために、家族のために懸命に働いた。その結果が、奇跡の繁栄となった。
だが、今はフリーターなどが蔓延し、いい若い者が真面目に働こうとしない。
日本の景気が低迷している。根が深く、改善しようもないように見える。誰もが苦しい。だが、なぜか経営状態がよく、成長を続ける会社もある。いったいどんな秘密があるのだろうか。それは、みんなが一所懸命働いているのである。とりわけトップが率先してよく働いている。よく働く人には、次々に仕事が与えられる。
仕事は、生命をかけるもの。これだけは、誰にも負けないぞという覚悟がなければならない。お客様に喜んでいただく良い製品を作るために、研究に研究を重ね、工夫に工夫を凝らし、全精力を傾けてやる。それだけの価値があるものである。
ヒット商品や名品は、周囲が「気が違ったのではないか」と思うほどに、寝食を忘れて没頭した結果、生まれる。そこまで行けば、仕事が自分の「趣味」のようになってくる。仕事をしているのか、それを自分の楽しみにしているのか、その境がなくなる。
問題に出会うたびに、猛然とファイトが湧く。課題が解決することより、課題があることの方が嬉しい。働きそのものが楽しい。「働きは最上の喜び」であり、人は本当に働いた時が幸福なのである。