倫理の道標
丸山敏雄の発見した幸せになる生活法則
40. 自分の根源は太陽にある
中心を捉えることが成功のコツである。
核心から遠いことに力を注いでも成果はない。
生きている根本の理由を知り、感謝することは、己自身を大切にすることにつながる。
昔の人は、太陽を「お天道様」と呼んだ。そして、親しみ、仰ぎ、感謝するとともに、「お天道様に恥ずかしくない生き方」を心がけた。
ところが、今の小学生の三人に一人は、日の出、日の入りを見たことがないという。太陽と人間との距離は遠くなる一方である。
丸山敏雄は、朝の洗面を終えると、門外に出て、太陽の方角に向かって、まず一礼。柏手を打って、祈念するのが日課だった。早暁、それは型のように行なわれ、少々の雨が降ってもその習慣は続けられた。柏手の響きは近辺にこだまし、強く澄み渡った。
暗い冬の朝は、礼拝後いったん屋内に戻り、日の光が室内に差し込むと、仕事の手を休めて改めて立ち上がり、日の近くまで歩み寄り、有り難そうに拝した。夕日に対しては、特に時間を定めず、気づいた時、どこででも拝んだ。
敏雄は、太陽を多くの歌に詠んだ。
わが居間の一つの窓に真正面なる夕日の入りを今日も拝む
その姿は、仰々しいものではなく、日常生活の一部になりきり、ごく自然でもあった。
なぜ太陽を崇拝したのか。長男の竹秋が単刀直入に質問したことがあった。
「なぜ、そんなに太陽を拝まれるのですか?」
「神様の象徴として拝んでいる」
「神というと、宇宙の中心というか根源というか、そうしたものでしょう。しかし、この大宇宙は、太陽系だって銀河系のごく一部にしか過ぎず、ほかにもマゼラン星雲とか途方もない巨大星雲が数えきれないほど存在するといいます。太陽だけを神の象徴とみなすのは、おかしいのではないですか?」
「われわれは太陽系にいるから、太陽を中心として象徴と見るのだ。もし銀河系の中心となる何かが、明瞭に我々にも認められ、あれがそうだと認識できるのであれば、それが中心となり象徴となる。さらに銀河系以外に拡大したときも同様だ。そういう意味で、太陽を我々の生命の根源とし、宇宙の中心と象徴して、限りない敬意を払うのだ」
こんな歌を作ったこともあった。
東の空に日輪仰ぎつつ無量の端に触れんとぞする
東の空に昇ってくる真紅の太陽を仰いでいると、この広大無辺の宇宙を成り立たせている、限りない大生命の一端に触れ得た歓びをひしひしと感じる・・・・・・、という意味。
敏雄は、太陽について次のように、大らかに讃美した。
「人が生きる上に最も大切な働きをし、人を生かしているのは、太陽である。人間の知っているもので、太陽以上に偉大なものはない。これを畏れ、親しみ、感謝してゆくことが、倫理の出発である」
人は、丸山敏雄を「太陽の人」と呼んだ。