倫理の道標
丸山敏雄の発見した幸せになる生活法則
13. 職業が天職になっているか
自分の仕事を誇りに思えない人は不幸だ。
「今」を全うできなければ、適職など見つからない。
あなたの意識はどの程度のものか、考えてみよう。
東京でパンの製造販売業を営んでいた内田浜男が、丸山敏雄を訪ね、商売の心得について指導を受けたのは、昭和23年のことだった。言われたのは、次の五ヵ条である。
- 穀物を大切にすること。
- 水を大切にすること。
- 火を大切にすること。
- どんなお客様も別け隔てなく接すること。
- パン製造販売業を天職と心得ること。
一見して、当たり前のことばかりである。だが、いざ実行となると、なかなか難しい。
穀物や水や火を「大切にする」とはどういうことか。無駄にしないというだけでよいのだろうか。もっと大切にするにはどうしたらよいのか、いろいろ考え込んでしまう。
顧客を別け隔てしないというのも、容易にはできない。たくさん買い物をしてくれるお得意様には愛想よくするが、たまにしか来ないお客や、少ししか買わないお客には、つい心がこもらなくなる。
内田は、ハッと気がついた。1から4までがもしもなかったら商売が成り立たないではないか。これらは与えられ、恵まれたものである。自分一人の力でどうにかなるものでもない。
「商売は自分や子供のためにやるのではない。世の中の人々に、感謝のしるしとしてやるのだ」という敏雄の教えが身にしみた。
そういう気持ちになってみると、五つ目の教えが、光を放つように思えた。この職業自体が、天から与えられた崇高な使命なのだと。
<パンの製造販売こそが自分の天職である>
一種の悟りといってもよい。粉や水や火と使わせてもらうことが有り難く、お客様は誰であっても、心からお礼が言えるようになった。自分のものは何もない、すべてが天からの贈り物なのだと思えた。そんな人が成功しないはずはない。
「天職」という言葉を、最近あまり聞かない。敏雄はこう述べている。
「『はたらき』の目標が決まり、軌道に乗った、これを『職業』と言う。職業がその意義に徹し、これを楽しむとき、これを『天職』と言う」
仕事を変えるのがいけないわけではない。ただし、いま現在の自分に与えられている仕事を天職と思えない人が、これからもっとふさわしい仕事と出会えるのかどうか。職業そのものに貴賤の別はない。自分の思いが、その仕事を貴くも賤しくもする。
その昔、琵琶湖を望む近江の地は、農産物が豊かだった上に、交通の要所に位置したことから、商業のメッカとなった。商人は、全国に進出して成功した。彼ら近江商人の活躍によって、日本の「商道」が築かれた。その基本は「先義後利」、すなわち利益は後のことで、正しい生き方が先だとする。『論語』の「利を見ては義を思え」という道徳が、商いの基本とされたのである。
日本のビジネスは非常に高いレベルにあったのだ。それが、今はどうしたことか。商道徳の荒廃は目を覆うばかりである。不正をおかして得た利益は、長い目で見れば決して身につかない。人の道に外れた商いは、長続きしない。