倫理の道標
丸山敏雄の発見した幸せになる生活法則
2. 挨拶は人を動かす
挨拶は人と人、心と心を結ぶ「金の鎖」である。
「おはよう」の一言に、自分が見事に表れる。
日常の当たり前の行為に、じっくり磨きをかけたい。
「近頃の若者は、ろくに挨拶もできん。けしからん」
そう思う人は多い。だが、本当は気持ちはあるのだけれども、やり方がわからないのかもしれない。
挨拶は、人間が生み出した文化であって、基本の型というものがある。日本人の挨拶は多くはお辞儀を伴う。そして、「おはよう」「こんにちは」「さようなら」「おやすみなさい」といった言葉をかける。ぎこちなくとも、型に心を込めて実行することが大切だ。心がこもったかどうかで、さまざまな挨拶が生まれる。ぶっきらぼうでかえって不愉快になる挨拶。逆に、美しくいつまでも胸にしみこむような挨拶・・・・・・。
「挨」は押す、「拶」は迫るという意味で、「押し合いながら前に進む」ことを言う。せっかくする挨拶であれば、相手の心に触れるつもりで交わしてみたい。
昭和24年10月、九州の大牟田から上京した山口救は、丸山敏雄の住まいを訪ねた。初めて見る大東京は、何もかもがハイカラだった。わが身のむさくるしさが、いささか気恥ずかしい思いで、玄関に入った。
「ただいま、着きました」
打って返すように奥から声が響いた。
「ようく来ましたね、山口さん。遠いところ、よく来ました。わたしは、あなたを他人と思っておらぬから、我が家に帰ったと思って、ゆっくりするのですよ」
純朴な山口は感激の涙にむせんだ。何もかもが消し飛んだ。
翌日は、敏雄が生活改善運動を推進する「新世会」の総会が開かれ、祝宴が行なわれた。それに出席するため、山口は上京してきたのである。帰りの国電の中で、山口は敏雄の隣席に座った。会友たちも同じ車両に乗っている。しばらくして山口は驚いた。
電車が駅に着くと、そこで降りる会友のために、敏雄はいちいち席を立ち、ドアのところまで行って、こう言っていたのだ。
「今日は、大変ご苦労でしたね。本当にご苦労さまでした。ゆっくりお休みになってください」
ドアが閉まり、電車が発車しても、じっと戸口のところに立ち、降りた人たちの姿が見えなくなるまで手を振っている。駅に着くたびにこれが繰り返される。
山口は考え込んでしまった。
<なぜ、あのようなことができるのだろう。ふだん、どのようにしていれば、あのような態度ができるのか。自分の方が偉そうではないか。これは大変なことになった>
九州へ帰った山口は、早速、挨拶をまねた。見かけだけかもしれないと思いつつ、やり続けた。するといつの間にか、勉強に来る会友の数が確実に増えてきた。
挨拶はごく当たり前の生活習慣である。だが、ものの見事に人間性が表れる。どんな挨拶ができるかは、人間を計るバロメーターである。
どんなに忙しくても、数秒ですむ挨拶ができぬ、という法はない。心を込めて何かが失われるものでもない。やれば自分が気持ちよくなり、他人も幸せにする。挨拶という入口から己に磨きをかけてみたらどうだろうか。