丸山敏雄ウェブー倫理運動の創始者 その生涯と業績

倫理の道標

丸山敏雄の発見した幸せになる生活法則

33. 男は機関車のように生きよ

男が女のように、女が男のようになった。

親は親らしさを失った。

大人は子供になり、子供は大人に権利を主張する。

悪平等の社会は滅びる。男がしっかりしなくてはいけない。

虎は虎らしいから虎である。猪らしい虎であったり、象らしいライオンがいたら変だ。さばらしいまぐろであったり、ほうれん草らしいかぼちゃなんて、誰が食べるだろうか。人間社会から「らしさ」が消えていくのは、考えてみればとても不自然なことだ。
男らしさとは何だろうか。
岡部逸夫という人がいた。彼の兄が、丸山敏雄のもとで生活改善運動に身を投じたいと希望し、上京した。兄のお供をした彼は、両親に代わり挨拶をした。
「兄をくれぐれもよろしくお願いします」
「何を頼むのですか?」
「兄を・・・・・・」
そう言いかけた時だった。語気鋭く、言い返された。
「そんなことは、頼むも、頼まないもないっ。男が一旦よろしいと言ったら、もうそれでいいんだ。あなたの兄さんがここに入ると決まった時から、私はもう引き受けたんだ。それを『頼む、頼む』ということは、任せていないことだ。いつまでも故郷の方で両親が息子のことを気にかけているようなことでは、あなたの兄さんは立派にならん。帰ったら、よく両親にそう伝えておきなさい!」
その語気の鋭さに、岡部はまったく驚いてしまった。しかし、言い終えた後の敏雄は実に優しかった。コントラストの鮮やかさが、いつまでも心に残った。

もう一つのエピソードがある。明治40年の2月11日、紀元節の朝、北九州は珍しく記録的な大雪に見舞われた。学校は休みだと誰もが思った。しかし、屋根に届くような大雪をかきわけ、敏雄はいつもの時間に平然として登校してきた。通学仲間の原口綱治の家にいつものように迎えにやってきて、「おい、原口、行こや」と声をかけた。
二人は、死にものぐるいになって、雪をかき分けかき分け進み、ようやく学校にたどり着いた。先生も来ない学校では、登校した生徒11人だけで紀元節の式典を行なった。
やるべきことは全力をあげてやる。一度決心したら、もうクヨクヨしない。進んでやまぬ、やってやってやり通す。あふれる気概を胸に抱き、成就するまでやり遂げる。機関車のように、グングン客車を引っ張っていく。それを男らしい姿と言えないだろうか。
機関車といえば、丸山敏雄はこんなことを言っている。
「男の人生航路は、家庭のごたごたを機関車で引っぱってゆくようなものです。軽かったら機関車の値打ちが発揮できません。重たい荷物を引っぱるときほど、値打ちがでます。引っぱりきったとき、あなたの値打ちがでてきます」
もうもうと煙を吐き、轟音をあげて走る機関車は、後戻りができない。前に進むことしか知らない。そんな男が今求められている。