倫理の道標
丸山敏雄の発見した幸せになる生活法則
15. 徹底的に見る
今までいた応接室にどんな絵がかかっていたか、言えるだろうか。
自分の目はいったい何を見ていたのか。
見方がまだまだ足りない。
丸山敏雄には二つの目があった。
研ぎ澄まされた鋭い目、そして、目尻いっぱいにしわを寄せて微笑む目。
物事の本質を見抜く眼力は、終生の伴侶・キク夫人も恐ろしいと感じるほどだった。
「何事にも非常な努力をしていましたので、目ざとく、私どもの起居、動作はもちろん、どなた様にも一度視線を投げますと、そっくりそのまま、その人を見抜いたものでした」
知るはずのない他人の生活ぶりや心中を見抜くということが、どうしてできたのか。その秘密は、目の使い方、物の見方、考え方の中にある。
敏雄の目は人だけでなく森羅万象に注意深く向けられていた。
講演会などで地方に出かけた時も、車窓に繰り広げられる景色を遠くの方まで眺めることがよくあった。ぼんやりと見ていたのではない。絵画、書道、謡曲、尺八、短歌などによって培われた感性をフル稼動させて、あらゆるものに美を見出そうとしていたのだった。
弟子たちにも、「なるべく世の中で評判の良いものや、人が良いというものは、見たり聞いたりしておきなさい」と勧めた。
東京・上野の国立博物館へ「アンデパンダン展」を見にいった時、同伴の門下生に、「本当に楽しかった。君はどうだったかね」と敏雄は尋ねた。「わからない絵や彫刻がたくさんありました」と彼が答えると、「わからなくても見ておくことがまた勉強になる。わかるまで待って見ようと思うと、一生涯見られずに終わってしまうものだよ。若いうちには何でもいい、力のある限り何でもやってみることだ。今直接に何かの役に立たなくても、いつかきっと役に立つ時が来るものだ」と諭している。
書道の上達は、他人の書の良さを見ることに始まる。歌を生む生活は、対象を観るころから始まる。真実を知る第一歩は、じっと見ることに始まる。
対象をじっと見るのである。そのままに、感情をまじえず、あるがままに、虚心に、平静に。これを正しくすることにより、次第に心の鏡が澄み、対象の感覚的観察を正しく、すみやかに得て、対象の生命にふれる。(中略)とにかく見る。たびたび見ておると、はじめ変だったものが、次第によくなる。嫌だったものが好きになってくる。見るは、知るの端である。知ることによって、敬が高まり、和が強まり、愛が深まる。(『作歌の書』より)
敏雄にとって鑑賞眼を養うことは、作品に表れたその人の心、人格、生命に触れることに他ならなかった。作者の良いところを深く学び、書であれば、その作品の一点一画の特徴をとらえ、鋭く鑑賞した。
「目は見るもの」と敏雄は言う。ありのままに、まともに、そのままに見る。好き嫌いしたり、卑しく、ひがんだ見方は、相手を損ない、自分も損なう。目は飾りでも、ガラス玉でもない。人間として正しく見ること。それが大事である。