倫理の道標
丸山敏雄の発見した幸せになる生活法則
11. 掃除は、最も簡単な修行法
人は美しさを求めてやまない。
環境を美しくする掃除は、小我を捨てて大我に生きる、
きわめて日常的な修行なのだ。
掃除が行き届いている店舗やオフィスは、働く人たちの気持ちが違う。明るく、朗らかで、喜びに満ちて、はずみがある。自ずとお客様も寄ってくる。
そこまでは、多少は想像がつくことかもしれない。しかし、それだけではない。掃除を徹底すると、もっとすごいことまで起きてくる。その証拠に、経営者の間で、掃除が静かなブームともなっている。
ある社長は、朝一番に出社して、会社のトイレをピカピカに磨き始めた。たった一人で、黙々と続けた。従業員たちはただ横目で見ているだけだった。そのうち、まったく強制しないのに、一人、二人と手伝う者が現れてきた。床にモップをかける者、会社前の道路を掃く者、次第に数が増えてくる。会社は、業績が低迷し、倒産寸前だったというのに、たちまち好転、優良企業に変わってしまった。
掃除をしている時に、大切なヒントが得られたとか、倉庫の整理、整頓、清掃を続けるうちに、在庫品が飛ぶように売れてしまった等々の経験は実に多い。
なぜそのようなことが起きるのか。ポイントは、利害打算を超え、無心で掃除に取り組むことにある。黙々とやっていると、自分の内面が否応なく変わってくる。自分が変われば、変化は周囲に及ぶ。
戦後間もない昭和21年の夏、丸山敏雄は、三菱重工業の深沢の社宅で管理人を務めていた。間もなく退職の予定だったのに、頼まれたわけでもないのに、掃除に汗を流していた。広い敷地を、毎日、くまなく掃除した。
「国の再建のためには、学問をしているだけではいけない。身体を動かし、実践することだ」
転居するまでの約4ヵ月間、徹底した実行ぶりだった。そして、ほどなく思いがけない転機が訪れた。敏雄の事業を支援しようという人が、突如として現れたのだ。
敏雄は、掃除を「小我を捨てて大我に生きる実践道」と据えた。掃除は、禊ぎ、祓えとして、心身を清浄にし、わがままを除く平易な実践と考えたのである。
自分が生活し、仕事をする場をまごころ込めて清めることで、同時に自分自身の心を清める。すると、何かが変わってくる。
「覆水盆に返らず」ということわざがある。こぼれ落ちてしまった水は、もはや元の盆に戻すことができない。確かにその通りかもしれない。一方で、田畑は放置すれば、草野となって荒れ果てるが、人間の手が加われば、豊かな実りを結ぶようになる。
荷物が積み上げられ、何やらゴタゴタとしている会社や店がある。いつからそうなっているのか、雑然としていて、うっすらと埃もたまっている。故障して使えなくなったOA機器、段ボールの山、何年も手がつけられた形跡のない書類の束、ゴミやガラクタ・・・・・・。たいがいは、問題が多く、うまくいっていない。
生活の場が汚れ、散らかっていれば、心も荒んでくる。毎日、手入れをしてきれいに片づければ、清々しくなってくる。そして豊かな実りも生まれる。