丸山敏雄ウェブー倫理運動の創始者 その生涯と業績

倫理の道標

丸山敏雄の発見した幸せになる生活法則

4. 一日、一回でよい

できない、難しい。

よくよく見ると実は、何もやっていないということがほとんどである。

やらなければできるようになるはずがない。

やるのは1日1回でよいのだ。

熊本市に在住した藤田幸子は、目が覚めたらサッと起きる朝起きが苦手で続かなかった。ある時、丸山敏雄に物事が終始一貫できる秘訣を質問した。
「終始一貫とは、明日の朝ひと朝でいいんですよ。あなたは終始一貫を何十年と思っている。人間、明日もわからないのです。よけいな取り越し苦労をしないで、“明日の朝ひと朝”が、終始一貫なのです」
彼女はこれを聞き、「ああ、それなら出来るかも・・・・・・。ひと朝ぐらいなら出来る」と思った。
「いつもそういう気持ちでいれば、ちゃんとできます」
さらにそう言われて、気持ちが軽くなった。その後、一貫して朝起きができる人になった。
敏雄は後に趣味の書道を活かし、「秋津書道院」を結成した。しかし、もともと書道が得意だったわけではない。小倉師範学校の学生時代、必修の書道に赤点一歩手前の成績を食らってしまった。

一貫不怠

敏雄直筆の書「一貫不怠」

そこで書道担当の師を訪ね、上達の方法を質問した。師は「1日に10枚清書せよ」と助言した。敏雄は<先生が10枚と言われたのだから、私は12枚清書して、先生の教えに応えよう>と決心した。やがて100点満点をもらうに至った。書道は死ぬまで学び続けた。
「私は書道を勉強し始めた17歳の頃から、1日1回必ず筆を持つことを実行し、人にも勧めている」
敏雄は後にこう書いている。敏雄は書道を通して、一貫の大切さを体得したのだ。一貫し続けたのは、書道ばかりではない。41歳の6月から亡くなるまでの18年6ヵ月の間に、約6,500首余りという膨大な短歌を詠んでいる。ほぼ1日1首である。少年時代に書き始めた日記は、亡くなる日まで書き続けた。
膨大な原稿執筆と講演をこなし、敏雄を慕う多くの人たちの相談にのり、後継者を育成する合間を縫っての実践であった。難行苦行ではなく、楽しいことでもあった。
江戸時代、盲目の学者・はなわ保己一は『群書類従ぐんしょるいじゅう』の編纂を志した。そしてその大事業を成就するため、「般若心経」を百万遍読誦する願を立てた。41年間という年月を費やして、遂に完成させた時、百万遍読誦を2回繰り返していたのであった。
人間の能力に大差はない。1日24時間という時間と、この体一つという条件は、誰にでも平等に与えられた条件である。できないことは、誰にもできない。誰にでもやれることしかできないのである。
階段の多さに呆然として、登り始めなかったら、いつまでも頂上にはたどり着かない。足下を見ながら一歩一歩登っていけば、いつの間にか目的地に到着している。
大きなステーキを一口で食べる人はいない。小さく切り分けて、誰でも一口ずつ食べているではないか。
「1日1回」繰り返すこと、それが上達の秘法であり、成功の秘訣であることは、日本人の民族体験である。
地球が1度回る、その間に1度繰り返す。それは、大自然とリズムを合わせること、大宇宙と呼吸を合わせることになる。この境地に立ったとき、大きな力が湧いてくる。